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貞珉不遠

がらん | 2017/6/8 11:42
伏屋家墓石旧配置図(2015.1頃)伏屋家墓所
 顕彰碑とか墓石の碑文の終りの方に「鐫刻貞珉」のような言葉を見かける。「貞珉」とは堅固でよく磨かれた石のことで、これに顕彰を刻んで、その碑文が永遠であることを祈念するものである。

 歴史的仮名遣いの発見により国学の祖とされる契沖阿闍梨ははじめ和泉の辻森家に滞在し、同家の書物を研究、ついでまた和泉の豪家伏屋家に移り、養寿庵を建ててもらい同家の書物を研究したので、和泉は国学発祥の地とも称されている。

 この伏屋家の墓所を訪ねたのは二年余り前の2015年の正月であった。銘文のある墓碑や亀趺もあったので、この頃ようやく暇を見つけてMAPに落とそうとしたのだが、グーグルの航空写真の様子がどうもおかしい。どうも更地になっているようである。たった二年であの墓碑群は失われてしまったのだろうか。http://hizou.30maps.com/map/175139

 貞珉といいつつ石鼓文のように2000年近く永らえる碑文もあれば、風雨にさらされ数十年で剥落する石もある。火災にあって割れたり、水戸の弘道館の碑のように地震(東日本大震災)で木っ端みじんになったり、まあ天災にはあらがえず、貞珉は永遠を期待することばともいえる。
 最も恐ろしいのはその貞珉を望んだ人間によってこれが破られることである。公園として位置づけられていた都営霊園は戦後貸し付けが行われていなかったが、平成になって儲かる霊園として貸し付けが再開された。このために無縁墓地は整理され。また有縁地であっても施設建設のため、移転縮小のため、都知事のハンコが押されるようになったのは先の知事からであったろうか。記録もないまま失われる碑像はあまたなのである。
 
 話題がそれたような。多分失われたであろう伏屋家墓石の記録をとどめておく。それぞれの墓碣については以下のコメント欄にUPするつもり。
 堅石も永遠ならず。
※養寿庵跡の契沖碑はparunasさまがスレ立 http://hizou.30maps.com/map/140301