コメント一覧

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garan
社号の裏にご祭神が篆書で彫られているのに気づきました。この書家は聞いたことがありませんが境内の狛犬台座にも落款があるようです
・御祭神 素盞嗚尊 大山咋神 譽田
親マップ: 社号標 by がらん
garan
根津神社 つつじ苑の記碑根津神社 つつじ苑根津神社 御来光
例年より十日早く咲きそろった根津神社のつつじ苑へ立ち寄りました
garan
記念鐙
大雨漲濁水氾濫藍染川 下流被害多路上浮存船
水没脛洗床衆不得安眠 電輪未開通根津方面阡
車行苦垷路住民受惠鮮 速成同盟人希塖埆利便
成事等鯀禹焦思八閲年 同心請當局市尹實四遷
盟不空衍通電車大塚聯 會盟果任務建此塔永傳
大正十年歳次昭陽作噩季春中院 本郷北部刷新同盟會建之 柳通義津如是書井龜泉刻
garan
雉子塚之銘旧拓
(碑陰)雉子塚之銘旧拓
garan
池原日南の歌碑
碑陰の旧拓です
親マップ: 元日櫻長歌碑 by がらん
garan
碑陰に漢詩があるのを旧拓により知りましたので改めて参詣しました
・鴨崖墓 
名醇、字士春、別號古狂生、頼氏、稱三樹八郎百城人、
安政六年己未十月、齡三十有三
排雲手欲拂妖熒 失脚落来江戸城
井底癡蛙過憂慮 天邉大月自高明
身随湯鑊家無信 梦破鯨濤劔有聲
風雨他年苔石面 誰題日本古狂生
親マップ: 頼三樹三郎の墓 by pbh16
winecolor
2018/4/18にNHKBSプレミアムで放送された「にっぽん縦断こころ旅とうちゃこ版/718日目熊本県熊本市/本妙寺の加藤清正像から見た熊本市内の風景」で見ました。
親マップ: 清正公立像 by winecolor
winecolor
2018/4/15にNHK総合で放送された「西郷どん紀行」で見ました。
winecolor
2018/4/15にNHK総合で放送された「西郷どん紀行」で見ました。
親マップ: 徳川斉昭像 by winecolor
winecolor
>がらんさん

写真登録と位置の修正ありがとうございます。
garan
現在、金色のビリケンさんがお留守番中らしい
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=2...
親マップ: 福之神 by がらん
なると4
がらん様
情報ありがとうございます。
picasa終了したので、googleフォトにリンクを修正しました。
garan
金光山碑記
金光山在阿州撫養郷山雖甚高而廻眺佳絶殆冠闔州其西側萬山重畳南則近対木津神山遠揖眉山東側俯瞰鳴門之海潮水呑吐盤渦轟雷紀之諸山青螺高低列其右淡之羣嶂綿亘〓〓連其左側播洋百里翠浪畳而白帆飛昿如茫如足以駿目而洞心天保中郷之富人山西君幸安甚愛其勝乃造石仏八十有八箇分置於山之西面以擬空海師四国之蹤於是遙通之人羣而至焉後又捐数百金創一寺於山頭曰仙竜院〓集者将加衆也幸安為人直而有智倹而好施家素極貧幼善事父母稍長為泉氏之僕拮据能富其主家後自立貨殖終累巨又造大小賈船五十余隻以商於四方嘗山民苦旱艱食殊甚乃多賑糧活者数千人幸安好救人之急而不嗇財而家益富是其才之有超於衆者可推而知矣仙竜院工末全竣而幸安〓其子幸信能継其志営之而竜田保護田村義金秋田正興亦参助竭力竟以成焉間者正興義金来江東謁文於余欲立碑以記之因説其事甚詳余己奇幸安之為人而尤喜其山之勝乃経韓二子之言以記之
   嘉永甲寅陽月下澣 林司成家塾都講河田興撰 加藩市河三亥書并篆額
鳴門市の金石文(阿波学会研究紀要)
碑の所在は不明ですhttps://blog.goo.ne.jp/pjota12345/e/...
親マップ: 金光山碑記 by がらん
garan
おはようございます。堤新甫(1815~99)という儒者の撰・書だそうです。タグを貼りました。篆額は別人のようですね。
https://blog.goo.ne.jp/pjota12345/e/...
chakayaan
ありがとうございました。
chakayaan
ありがとうございました。
garan
winecolorさま こんにちは
近くを通りましたので寄ってみました。位置を修しました。
ここは参り墓で実際の葬地は別にあるとも聞いてますが詳しく知りません。
garan
堕落之魂さま おはようございます
最近ひさびさに通りかかったので一枚だけ撮ってきました。題「大地から」とありました。
winecolor
2018/4/8にNHK総合で放送された「西郷どん紀行」で見ました。
親マップ: 薩摩屋敷之址 by korapisi
garan
喜多院 慈眼大師の塔喜多院 慈眼大師の塔喜多院 慈眼大師の塔
中央の大きな碑は中興天海和尚(慈眼大師)の供養塔のようです。
garan
仙波日枝神社古墳仙波日枝神社古墳縁起仙波鎮守日枝神社御神木縁起
daturaさま こんにちは。
墳頂に説明が建っていました。タグも貼らせていただきます。
・仙波日枝神社古墳縁起 平成10
・仙波鎮守日枝神社御神木縁起 平成26
garan
喜多院寺号標喜多院寺号標(背)
碑陰のデーターです。タグ貼りました。
・國寶堂舎修理落慶記念 星岳主亮忠謹書 昭和三十一年十月吉辰 伊藤長三郎建之
garan
天海像台座題字
台座題字のデータです。タグ貼らせていただきました。
・中興第二十七世 天海大僧正 星野山亮善 印;喜多院主 亮善 引首;慈眼視衆生(観音経偈)
親マップ: 天海大僧正 by datura
garan
・初代梅庵墓石
梅牕院春香日終居士
其先出自後周佐々木餘孼、称吉田梅菴瑞真也、仕于 幕下爲侍醫法眼位、享保九年甲辰二月廿五日終于江都、
・二代梅庵(黙齋)墓石
黙齋文叔先生墓
官醫吉田梅菴黙齋法眼墓碑銘
法眼諱郷美號黙齋成田宗菴法眼第三子母小倉氏出為吉田梅菴法眼嗣以家稱亦稱梅菴時猶閑官櫂為直醫無何進時醫隷一橋殿后子重患以匕劑起因除法眼賞之也居十數年以病告兒復為閑官寛延四年辛未七月十七日卒年四十九歳法眼博學有通才無論其凡所稱醫家書即摸典以至諸人百氏無不渉獵而旁及曲藝亦鮮有不略試学之者其診疾為剩多據古方曰後世撰立者非不粲然満牘人自稱奇方而要之秕稗耳豈可盡用之乎於是有古方選十巻文凡事實之可以備於掌故要語之可以施於藝文者廣釆諸群籍集成一書數百巻曰苛可以便於兒輩為之豈不勝於已哉為人硬直不能紆意事人雖政府引對若不護已者而僅一再出之而已獨於孝伐天性事母尤順赴人急其於已是以無親踈服従焉葬乎城北籾坊善國寺兆
餘承祐曰不揣其本而齋其末方寸之木可使高於岑樓專業之士従事於既而無他黽勉以不置而猶有童而習之白首紛如者矣而法眼渉獵之博著者之富有如此者而皆出諮其餘力而優為之則人相去遠哉曰以使於兒輩且豈自多者乎至以後世選立者曰秕稗則在今世非獨方技家爾哉唯其不能紆意事人則豈得非所以有不盡一等乎然天亦不假之年則奕憾焉銘曰
與其德不足而位有餘也不若位不足而德有餘也生也則維以見其人死也
則維以銘其居    岡崎藩餘承祐撰   
・十一代義長の墓石
吉田家累代之墓
故陸軍上等兵 八等吉田義長大正八年八月八日神田区三嵜町三ノ二吉田甚吉長男ト生レ吉田家第十世ヲ襲ダ五才ニシ父ニ死別母常ノ愛ニ成長二十才ノ時志願北支派遣軍ニ從軍各地ニ轉戰貫通銃創ヲ負ヒ全快シテ再度前戰ニ参加セシモ不幸病ノ爲内地大野浦陸軍病院ニ於テ昭和十六年六月廿日先ナラズ無念護國ノ鬼ト化セル行年二十三才
妙法 報國院殿義勇日長居士

元祖 梅牎院殿前法眼春香日終居士 (郷直 享保九年二月二十五日)
二代 圓徳院殿前法眼文叔日道居士 (郷美 宝暦元年七月二十日)
三代 妙道院殿   文教日養居士 (郷昫 天明三年八月十七日)
四代 魁春院殿前法印嚴光日普居士 (郷教)
五代 研了院殿   法珠日顕居士
六代 顕光院殿   淡水日是居士
七代 本徳院殿   義道日厚居士
八代 實相院殿   法壽日長居士
九代 實相院殿   能持日甚居士
十代 報國院殿   義勇日長居士
十一代 真實院   妙義日常大姉

享保九年以来昭和十六年迄ノ三十九靈ノ墓表ヲ十代ノ死亡ニ当リ改メテ全祀ス
昭和十七年六月       東京府士族 吉田ツネ建ス
garan
松君之碑
芳顔院妙真日浄信女、天保七年丙申八月廿九日病没、年二十、父福山藩邸塩田屯、母菊崎氏嫁
幕府家人加藤俊忠居一年無子、葬于江戸郭北牛籠善國寺、今茲三年忌辰、取一見率闍婆永離三悪道之意、為立詩碑以祈冥福云
昔在娑婆僅廿秋 歸冥今已両年周 定知一片真如月 彼岸照君般若舟 
天保戊戌八月 弟塩田鉞題 石黒尚友書
garan
『大須賀浚大』墓釋文
大須賀家先祖累代之墓
大須賀源之進平浚大・配宮原氏之墓
【銘文】
岳父大須賀君、諱匡淵、字世龍、父諱匡安、母宮島氏、匡安歿、君弱冠襲職、爲百人組與力、安永丙申、浚大君遠謁二荒山東照神廟君時、以騎従駕、君好學兼能武藝、安永天明之間、以鳥銃再應試、寛政乙卯又以刀應武科、皆有賞賜焉、君幼孝友恭謹清虚節儉、言不苟發、行不苟擧、終身不改父母之道、自扁堂曰守成、在職五十三年、請老尋而臥病、自知不起手書後事、以授子匡勅、以文政四年七月初四歿、享年七十、當其易簀、使人正枕加手於胸齊蜀作拱揖之状、蓋逆知終期也君、娶宮原高伴之女、生一男四女、長女乃寧享妻、次女殤、三適窪田正定、四匡勅、季女末字、宮原氏諱貞、清閑貞靜、温慈恵和、事始事夫皆得婦道、文化戊辰閏六月二十六日、先君歿享年五十一、合葬於大窪法善寺先塋之側云 文政四年辛巳十月、 
入江寧亨識、 向陵賀瑛之書、 哀子匡勅建、  廣羣鶴刻

雄物川は春の雪どけ、夏や秋の大雨には毎年のように増水はんらんして、旭川・太平川に逆流し、そのため楢山方面を始め旧市街の大半及び近郊は、家屋・耕地の浸水被害を受けることおびただしく、加えてその後の惡疫發生等があり、これが解決は長年にわたる縣市の重要な問題であつた。
その頃この茨島は混潤不毛の地であり、今日のような工場地帯が實現するとは、だれ一人予想するところではなかつた。
明治三十二年秋田縣民大会において雄物川改修の實現が決議され、その後の縣市一体の運動も功を奏し、明治四十四年から大正三年まで調査が行われて、大正四年雄物川下流改修工事が大隈内閣の第三十六回特別議会を通過した。
しかし、政府は財政上の理由で大正十年度から着工する計画であつたが、當時衆議院議員であつた井上廣居氏は政府と縣の間を奔走し、遂に大正六年度より着手の運びとなつた。その後、井上氏が秋田市長に就任するに及んで雄物川改修事務所長・内務技師来島良亮氏が新川掘さくによる土砂を利用して二十万坪余の混潤地帯茨島を埋立て、工場地帯を造成することを相はかつた。これにいたく共鳴した井上氏は秋田市将来の發展のため、来島氏とともにその實現に努力し、國有地の拂下げ・市会議員の説得、牛島町の合併等を實現し、茨島發展の基礎を築いた。
来島氏は大正七年から昭和二年三月まで秋田縣に在任し、その間、大正十年三月以来二度市会議員に當選し、茨島工場地帯の造成はもとより、秋田港の修築、工場地帯と秋田港を結ぶ秋田運河の掘さく、國道の改良等を企画發案し、井上氏の協力を得て終始その實現のために努力し、工業都市建設の基盤をつくつた。
この井上、来島両氏の事業をついで改修工事の完成に盡力するとともに、工場敷地の活用を計つたのは鈴木安孝氏である。鈴木氏は市長に就任後、工場設置奨励規程を設定して工場の誘致につとめ、東北肥料株式会社の前身、朝日化學工業株式会社を招致し、工場敷地活用の第一歩が築かれた。
かくして、井上、来島、鈴木三氏の卓抜な見識とすぐれた見通し、加えるに不屈の實行力によつて、昭和十三年に雄物川下流改修工事が完成し、秋田市民を長年の水魔から解放するとともに、工業都市秋田の要地・茨島工場地帯が實現し、今日の發展をみるに至つた。
今ここにこの偉業をたたえ、縣市相はかりゆか里の地 雄物川畔に顕彰碑を建立し、長く後世のかがみとする。
昭和三十三年六月十二日
K-R
写真を追加しました。
garan
K-Rさま おはようございます。
画像と位置の修正ありがとうございます。
親マップ: 秋葉山石燈籠 by がらん
K-R
写真を1枚追加致しました。
正確な場所にアイコンを移動の上、「場所不確か」のチェックを外させていただきました。
親マップ: 秋葉山石燈籠 by がらん
K-R
がらんさま

どうもありがとうございました。
私は「中氷川」以外全く分かりませんでした。

 明治十二年から半世紀の歳月を費やし、勝瀬住民の総力で十八
町歩余の美田を創り、県下模範の表彰を受けた勝瀬産業組合の経
営、洋風造りの公会堂兼図書館、文化施設と勤勉な人々のおりなす
平和の里に突如としてダム建設・全戸水没の激震が襲った。
 それは、昭和十三年一月神奈川県臨時議会で「相模川河水統制
事業」が可決されたことに始まる。
 直ちに「水利統制用地不買同盟」を結成、しかし、県はこの
事業は国家的見地からの大義を強調し、譲ろうとしなかった。
当時わが国は、富国強兵政策のもと軍事力増強の時代要請にあり、
前年勃発した日中戦争を契機に、わが国の戦力強化体制の構築は
顕著となり、これが直接間接に居住者への威圧となっていた。
 ついに、「お国のため」この五文字に居住者は苦渋の選択を
余儀なくされ、反対運動の火は僅か五ヶ月余で消えた。
 昭和十五年十月移転補償金支払い(一戸当り平均一万六千余
円)、戦時下の物資不足は極限状態で、トラック用ガソリンは片道
のみ、古材古釘の再利用は当然の事、その上若者は徴兵のため、
残された年寄り婦女子による移転作業は苦難のなかで行われた。
 かくして昭和十八年三月全戸移転完了
 同二十一年八月「相模湖」と命名された。
 時は過ぎ全戸水没から六十年余、当時の戸主名を碑に刻み、
その労苦に心からの経緯と感謝を表し、ふるさと勝瀬を後世に
語り継ぐため、県企業庁のご協力を得てこの碑を建立する。

平成十六年三月吉日
相模湖水没旧勝瀬地区居住者会

(移転時戸主・建立委員の氏名は省略)
winecolor
2018/3/25にNHK総合で放送された「西郷どん紀行」で見ました。
winecolor
>がらんさん

ご指摘ありがとうございます。
タイトル等を修正しました。
garan
winecolorさま おはようございます。
たまたまランダム画像で見かけたんですが、こちらは似てるけれど旁が「見」の「観ずるに」と思います。
winecolor
>がらんさん

解読ありがとうございます。
タイトル等を修正しました。
garan
winecolorさま こんばんは
ちょっとはっきり見えませんが「国安村製紙之祖」とあるのかな。碑文は愛媛県史にありました。
http://www.i-manabi.jp/system/region...
漢文墓碑も近くにあるようですね。見てみたいなあ。
winecolor
2018/3/18にNHK総合で放送された「西郷どん紀行」で見ました。
winecolor
2018/3/15にNHK総合で放送された「日本人のおなまえっ!/歴代スターが付けた名字サマ/おなまえで分かる!源頼朝逃亡劇」で見ました。
gerorian
写真追加させていただきました
親マップ: 元桜橋南詰 by parunas
gerorian
写真追加させていただきました
gerorian
写真追加させていただきました
gerorian
写真追加させていただきました
gerorian
写真追加させていただきました。
親マップ: 大手先門跡 by route507
gerorian
写真追加させていただきました
親マップ: 新渡戸稲造像 by kuwa
これ私もこのところいい加減に邪魔だと思っていました。位置情報もリンク先で全部詳細確認できるし。別にある詳細情報って言ってもリンク先の方が遥かに情報が多いし、よくまとまったリンク先さえ知っておけば十分なのになんでこんな無駄に連投するんだろうと思っていました。自分で回っているならせめて写真は載せて欲しいし、タグすらまともにつけないで何がしたいのか謎です。
京都市のページだけ載せて全部消す案に賛成します。既にまとまった情報があるのに、それによってほかの情報が隠れてしまう弊害の方がよっぽど大きいです。
決してサイトから引っ張ってきているのではなく、すべて自分の足で回ったものです。
サイト情報を載せているのは、詳細情報が別にある場合のみです。
他人の情報を載せる場合、転記よりリンクのほうがいいでしょう?
個々の石碑を深く掘り下げてはいませんが、位置情報は石碑巡りにおいて重要な情報であり、現地を巡って正確な場所を記載することに問題がありますか?
紹介もれを防ぐために、エリアを区切りながら記入しています。
いっぱい情報載せようとする姿勢はいいのですが、1つのサイトから細々引っ張ってこられるのは止めてほしいです。石碑を紹介するのに大切な年月や撰者や内容や書者の情報も乏しいためほとんど意味がありません。他の有用な情報がどんどん後ろへ流れてしまいます。そのサイトだけ紹介し、残りは全部削除していただきたい。
garan
手前の碑は奉納歌碑のようですが読み切れず
・神前に通夜して通夜に詠す 白非園里松
中氷川 なかれの末の 水き□み 
 にこらぬ御世の 浪の静けさ
 
 高き神徳を仰き□□ 虚中舎惟孝
かきりなき 惠を神は 萬代の
 すえ長宮と 跡やたれ□む
garan
ご詠歌の奉納額二枚読んでみました。
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