山寺庵主の墓塔2基

がらん | 2015/8/18 10:02
写真登録: がらん
鳥取沢墓地
守一庵貞證子深尼 文政9
慈光周山法尼 明治19
設置数:2
三重県 員弁郡東員町 鳥取(沢)
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コメント (5)

いちかわ
鳥取沢墓地は、道路拡張の為、ちょっと前に全体的にちょっと南東方向にずれました。その際に綺麗に整備されたのですが、こちらの墓は隅にちゃんと残っていました。私は、別目的でこの墓地を訪れ、この尼僧の墓を見つけてどういう由緒があるのだろうと思ったものです。何かの文献に載っているなどご存知でしたらご教示願いたいです。

で、さらについでなんですが…。元々この墓地を訪れた本来の目的は、一つだけ笠付きの墓が目立ってあったのを昔から目にしてて、いずれ誰の墓なのか調べよう調べようと思っているうちに、上述の墓地整理によって改修、多分どこかの一族の墓に合祀されてしまったようで見つけられませんでした。今となっては誰の墓なのかわからず大変心残りです。ご存知でしょうか?
garan
いひかわさま おはようございます。ひさかたです
たしかにGマップで見るとすっかり様子が変わっていますね。ともあれ無縁であろうこの二基が残ったのは幸いです。文化的意識の高さを感じます。

すぐ近くの笹尾西交差点をネオポリスの方へ北上する坂の東側を小字「三百坊」、その背後の高地を小字「経ヶ峰」と言いました。そして今の東員駅の西、戸上川のほとりの丘に後世員弁寺と呼ばれる遺跡があって、そこは小字「小金塚」と言って古代瓦が出土したことがあるそうです。この員弁寺は『作善日記』にも見える子院僧坊三百坊を数える大院で、その三百坊の尽きる地を「三百坊」と言ったそうです。

この二基の墓は江戸末三百坊にあった通称山寺という尼寺の庵主さんのもので、二人は附近の子女に読み書きを教えて昭和のころまではその教えを受けた年寄りも残っていたそうです。
この墓の記録は『東員町史』下巻578頁~にあります。三百坊・経ヶ峰・菊若・青木・蛇池といった地名の由緒となりそうな話は孔版誌『風土記聚拾綴』に収められた「員辨寺北院三百坊舎由來記」に見えています。

笠付の墓石はちと記憶にありませんが2013と2014のストビューに小さく写っていますね。この辺ではあまり見かけないタイプです。お役に立てず。ではまた

いちかわ
お久しぶりです。なかなか参照するばかりで登録をさぼっています。
ご教示通り、東員町史を見てみましたら、思いっきり載ってましたね。(^^;しかも予想以上に詳しくて驚きました。仏像や位牌まで遺っているとは。
「守一庵」は、現在の中古車販売店の辺りなんでしょうかね。全く想像できません。

ストビュー、載ってますね。ご存知ないということで残念ですが了承致しました。実は墓地が移転改修されたあとも、暫くは残ってました。「ああ、よかった。ちゃんと移設してくれた」と安心したのも束の間、いつの間にか見えなくなって、慌てて確認しにいったらもう無くなっていました。

garan
もう少し上(東北)の出っ張った山すそです。一番上の田んぼの上の林に少々の平地があったと覚えています。位置の出どころも忘れちゃいました。神田小学校がまとめた郷土研究の冊子かな?
笠付の墓は守一庵の墓を見に行った時の画像に紛れてないかと探してるんですが、何時撮ったのか忘れちゃってちと見つからず。デジカメ以前かな?でも銘文がなければ記録してないかも。
いちかわ
再度ご教示ありがとうございました。
これまで何十年、何の感慨もなかった新興住宅地の山裾が、俄然興味が湧きました。