ブリュックの墓

がらん | 2016/9/7 16:51
写真登録: がらん
青山霊園 外国人墓地 北1-ロ1-1・2、10・11ブリュック
ドイツ 1839-1880 カール・アントン・ブリュック キヨソネの助手 銅版彫師 青山霊園外人埋葬第一号
・印刷局工師獨逸國人卡路安通不里攸詁墓 (漢文墓碑)明治13 得能良介撰[臥16104]
※碑文はコメント欄へ
東京都 港区 南青山二丁目 32
QRコード

コメント (1)

garan
印刷局工師獨逸國人卡路安通布里攸詁墓(Karl Anton Bruck)
明治十三年十一月九日、印刷局工師布里攸詁君卒、十二日葬於城西南青山塋域、局長得能良介誌其墓曰、君姓布里攸詁、名卡路安通、獨逸國馬因河上佛蘭克佛爾特府人也、少習印刷技精通蘊奥、初入佛蘭克佛爾特府東多爾福印刷社、為社長所信任擢於一部指揮長、明治七年、余建議設印刷工場、得制可、乃請政府聘君於獨國為局工師、君於其年十二月入局、夙夜竭力、循循奨誘後進、不數年而局之工業粲然備、擧技能之士、亦彬彬輩出、以得有今日之盛、余之所以倚任君、與君之竭誠、以盡職者方未有艾也、君於去年春得肺病久不愈、余深憂之、數勸之擇地静養、乃遊于相州江島、余遣吏従行、病危又遣吏視之、而君竟卒、時年三十九、訃至更遣吏護喪還京為之營葬、葬日、會者二千四百有餘人、君性朴直、不修邉幅與人交重然諾、而奉職尤謹、卒之日上下皆蒄惜哀歎、夫人由禮君侍君疾盡瘁無所、不至及君卒悲慟不己、葬畢行歸國、嗚呼人誰不死没世、而無稱者比、比皆是君以絶藝名於時、而遠傳其術於數萬里外、使後来者世世奉為模楷、而我國家得永収利用之效、君之名固已不朽矣、爰叙其始末以誌之、
明治十三年一月二十五日、印刷局長従五位得能良介撰