咸臨丸記念碑

がらん | 2016/12/29 05:24
写真登録: pbh16
・骨枯松秀之碑 (咸臨丸記念碑)
榎本武揚(題)書 明治19 大鳥圭介篆額 永井介堂撰併書 鱸猛麟鐫 
※明治維新の際、清水港において咸臨丸が明治政府軍艦の砲撃にあい、港内に打ち捨てられた隊員を清水次郎長が供養した(壮士墓)ことを記す。明治20年4月 榎本らが除幕と供養
※壮士墓http://hizou.30maps.com/map/135629
静岡県 静岡市清水区 興津清見寺町 418-1
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garan
「咸臨丸記念碑」釈文
食人之食者死人之事 従二位榎本武揚書
(碑陰)
王政維新之歳秋八月、徳川旗下諸士隊卒私有所誓駕・開陽・回天・咸臨・蟠龍・千代田・長鯨・美加保・神速諸艦、同發品川灣、北赴仙臺、到房總、海猝遇颱風、各艦離散相失、咸臨監截其大檣、纔免覆没、更案鍼路再圖北駛、而暴風又起漂蕩南洋、艦體毀損不能遠航、遂入駿河清水港、卸桁鮮綱欲畧加修理、而北、官諜而知之、遣富士山・武藏・飛龍三艦來擊發砲甚急、飛龍艦兵執劔銃超入艦中、艦之副長春山辨藏・士官長谷川得藏・准士官長谷川清四郎・春山鑛平・加藤常次郎・今井幾之助・及水兵若干、格闘死之、實九月十有八日也、 官艦曳咸臨以去、而死屍浮海累日、無人敢斂之者、土人山本長五郎俠士也、夜索港中、得七屍、竊載至向嶋、埋古松樹下、建石表之題曰、壯士墓、今茲舊友相謀建碑於清見寺内、具記其顛末、以傳不朽、系之以銘、其辭曰、
 是義人 是頑民 奨曰主節 貶曰吠尭 要之壯士 可以興世風之曰澆
明治十九年三月、元老院議官従四位大鳥圭介篆額 墨水逸士七十一翁永井介堂撰并書