安藤橋跡の碑

chakayaan | 2017/12/2 06:07
写真登録: chakayaan
安藤橋
氷川神社参道から分かれて中山道を北に進むと最初にある大きな交差点が吉敷町交差点である。 かつて大宮宿の南の入り口であったこの場所には東西に流れる排水路があり、長さ7尺(約212cm)、幅1間4尺(約303cm)の石橋が架かっていた。 この橋の名を「安藤橋」といったが、それは大宮宿の人々を救った一人の武士の名にちなんだものである。
北澤家の失火に始まり大宮宿の85軒を焼いた安永4年(1775年)の大火(北澤大火)は、その救助活動が7日に及ぶほどの惨事であったという。 言い伝えによれば、この事態に際してときの勘定奉行であり道中奉行であった安藤弾正(安藤惟要;あんどう これとし。安藤弾正少弼惟要。在職:1761- 1782年)は、被災者に幕府の御用米と御用金を施し、大いに救ったと伝えられている。 しかし、それは許可を取らない独断による措置であったため、彼は責任を問われて切腹した。 安藤弾正に救われ、その死を悼む人々は、その徳を永く後世に伝えるため、墓碑を建てて祀ったという。 碑は「安藤弾正少弼惟要」と刻まれた小さなものであるが、交差点の脇に今も見ることができる。
なお、安藤橋は今は無く、小さな石碑が残されている。また、大宮市立博物館には、欄干の北側にあって橋の名が刻まれていた親柱が保存されている。【wikipedia】
埼玉県 さいたま市大宮区 吉敷町1丁目 109-6地先
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