勝瀬 ふる里の碑

SASANO Takayoshi | 2018/3/30 01:43
写真登録: SASANO Takayoshi
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 明治十二年から半世紀の歳月を費やし、勝瀬住民の総力で十八
町歩余の美田を創り、県下模範の表彰を受けた勝瀬産業組合の経
営、洋風造りの公会堂兼図書館、文化施設と勤勉な人々のおりなす
平和の里に突如としてダム建設・全戸水没の激震が襲った。
 それは、昭和十三年一月神奈川県臨時議会で「相模川河水統制
事業」が可決されたことに始まる。
 直ちに「水利統制用地不買同盟」を結成、しかし、県はこの
事業は国家的見地からの大義を強調し、譲ろうとしなかった。
当時わが国は、富国強兵政策のもと軍事力増強の時代要請にあり、
前年勃発した日中戦争を契機に、わが国の戦力強化体制の構築は
顕著となり、これが直接間接に居住者への威圧となっていた。
 ついに、「お国のため」この五文字に居住者は苦渋の選択を
余儀なくされ、反対運動の火は僅か五ヶ月余で消えた。
 昭和十五年十月移転補償金支払い(一戸当り平均一万六千余
円)、戦時下の物資不足は極限状態で、トラック用ガソリンは片道
のみ、古材古釘の再利用は当然の事、その上若者は徴兵のため、
残された年寄り婦女子による移転作業は苦難のなかで行われた。
 かくして昭和十八年三月全戸移転完了
 同二十一年八月「相模湖」と命名された。
 時は過ぎ全戸水没から六十年余、当時の戸主名を碑に刻み、
その労苦に心からの経緯と感謝を表し、ふるさと勝瀬を後世に
語り継ぐため、県企業庁のご協力を得てこの碑を建立する。

平成十六年三月吉日
相模湖水没旧勝瀬地区居住者会

(移転時戸主・建立委員の氏名は省略)