茨島建設顕彰碑

ゆひもぐ | 2018/4/6 22:24
写真登録: ゆひもぐ
秋田県 秋田市 茨島六丁目 15
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雄物川は春の雪どけ、夏や秋の大雨には毎年のように増水はんらんして、旭川・太平川に逆流し、そのため楢山方面を始め旧市街の大半及び近郊は、家屋・耕地の浸水被害を受けることおびただしく、加えてその後の惡疫發生等があり、これが解決は長年にわたる縣市の重要な問題であつた。
その頃この茨島は混潤不毛の地であり、今日のような工場地帯が實現するとは、だれ一人予想するところではなかつた。
明治三十二年秋田縣民大会において雄物川改修の實現が決議され、その後の縣市一体の運動も功を奏し、明治四十四年から大正三年まで調査が行われて、大正四年雄物川下流改修工事が大隈内閣の第三十六回特別議会を通過した。
しかし、政府は財政上の理由で大正十年度から着工する計画であつたが、當時衆議院議員であつた井上廣居氏は政府と縣の間を奔走し、遂に大正六年度より着手の運びとなつた。その後、井上氏が秋田市長に就任するに及んで雄物川改修事務所長・内務技師来島良亮氏が新川掘さくによる土砂を利用して二十万坪余の混潤地帯茨島を埋立て、工場地帯を造成することを相はかつた。これにいたく共鳴した井上氏は秋田市将来の發展のため、来島氏とともにその實現に努力し、國有地の拂下げ・市会議員の説得、牛島町の合併等を實現し、茨島發展の基礎を築いた。
来島氏は大正七年から昭和二年三月まで秋田縣に在任し、その間、大正十年三月以来二度市会議員に當選し、茨島工場地帯の造成はもとより、秋田港の修築、工場地帯と秋田港を結ぶ秋田運河の掘さく、國道の改良等を企画發案し、井上氏の協力を得て終始その實現のために努力し、工業都市建設の基盤をつくつた。
この井上、来島両氏の事業をついで改修工事の完成に盡力するとともに、工場敷地の活用を計つたのは鈴木安孝氏である。鈴木氏は市長に就任後、工場設置奨励規程を設定して工場の誘致につとめ、東北肥料株式会社の前身、朝日化學工業株式会社を招致し、工場敷地活用の第一歩が築かれた。
かくして、井上、来島、鈴木三氏の卓抜な見識とすぐれた見通し、加えるに不屈の實行力によつて、昭和十三年に雄物川下流改修工事が完成し、秋田市民を長年の水魔から解放するとともに、工業都市秋田の要地・茨島工場地帯が實現し、今日の發展をみるに至つた。
今ここにこの偉業をたたえ、縣市相はかりゆか里の地 雄物川畔に顕彰碑を建立し、長く後世のかがみとする。
昭和三十三年六月十二日