出井哲齋・考盤の墓

ナカジン | 2018/12/1 13:31
写真登録: ナカジン
江戸時代の医師。天保七年版の『諸家人名録』の江戸の村松町(現・中央区東日本橋一丁目)に学医として哲齋の名がある。(中央区立京橋図書館郷土室だより)https://www.library.city.chuo.tokyo....
哲齋の墓石の撰文は大田敦(大田晴軒のこと。儒学者)、三(?)峰為則書。三が合っているかは自身がない。
彫られた文字の状態は良好。右にある墓石は娘のものだと思われ、父悌三建と彫られている。
東京都 新宿区 岩戸町
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コメント (1)

garan
ナカジンさま はじめまして
 ここのお寺は門前までお邪魔しているのにこのような墓碑があるとは存じませんでした。
 さて「三峰」は画像を拝見すると「玉峰」のようです。深川の書家、田中氏。名爲則、字翼、元日本橋木原店住人。
 画像が鮮明なので碑文も読んでみました。

出井考盤之墓・出井哲齋之墓
庶芟稍怠桀々滋長者稂莠也、播種培養猶患枯槁者嘉苗也、天何以厚稂莠、而薄嘉苗乎、抑将理數之自然、雖造者有不能如何者耶、君諱和、字悌順、出井元愷之長子也、幼従木村子明受句讀、稍長従先君子學焉、渉獵百氏、能詩及文、同社稱作奇才、惜哉、天不假之年、以文政九年正月五日病卒、享年纔十有九、葬于牛込之里法性寺、嗚呼、嘉苗不殖、稂莠弥畝、彼蒼者獨何心哉、太田敦謹撰、玉峰為則書、 印;為則之印 玉峰居士

出井氏女元之墓
元予之第一女也、文化二年乙丑閏八月二日生、五年戊辰六月病死、年僅四歳矣   父悌三建

           ┏女(元)
  考盤(元愷悌三)━━━┻哲齋(和、悌順)

哲齋は元愷の長男で太田晴軒の先君子(父の錦城)の門に入り奇才と称されたがわずか十九歳で亡くなった。
考盤は元愷のことでしょうか。元愷は大田錦城の『九経談』や『梧窓漫』『鳳鳴集』の序などに「出井元愷悌三」と見える人で錦城の高弟でしょう。
元愷悌三長女の「元」は文化五年に四歳で病死していますが、逆算すると弟の哲齋がこのころ生まれています。
 また面白い碑像UPをよろしくお願いします