玉縄首塚碑

がらん | 2013/8/1 01:08
写真登録: がらん
戸部会館前 首塚
・玉繩首塚碑 鎌倉郡玉繩首冢碑記  間宮士信撰 戸川惠書并題額 安政8 廣瀬群寉刻[臥12020]
神奈川県 鎌倉市 岡本二丁目 3-20
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garan
『玉繩首塚碑』釋文
【篆額】玉繩首冢碑
【銘文】
 鎌倉郡玉繩首冢碑記
  西城小姓番士兼編修 間宮士信撰
  從五位下大隅守戸川惠 書并題額
室町氏季世関東擾亂、北條左京大夫諱氏綱據小田原城、使弟左馬助氏時守玉繩城、當是時也敵國相侵攻伐是務、房國有里見氏絶海屡冦、大永六年十一月十二日房冦放火焚八幡祠、城兵逆戰于戸部川上斬馘甚衆、城兵亦死者三十五人、氏時便以房人首級換吾兵三十五首、爲合豬築冢、後人號曰首冢或呼甘糟冢、甘糟氏葢死者之長也、大永距今三百餘載、物換星移土人亦咸不知其由也、郡人甘糟福原等奉先思孝追遠弗措将謀樹碑、其孫裔存者聞之各戮力舎財、會有地志編纂之擧、余掌其事乃遣朝岡泰任・村井量令等採索焉、自鎌倉迄藤澤、甘糟等爲之指導途、過家側因説樹碑之課、且爪二生請銘於余、余祖宗亦爲北條氏之義不可辭也、乃係以銘、銘曰
  赴危殉難 甘喪其元 妖氣一霽 城壘得完 戸部之水 村岡之原 毅魄安在 惟一杯存 春草空緑 秋霜自繁 歴載三百 緜務子孫 
文政八年歳次乙酉冬十一月建  
                 廣瀬群寉刻
【碑陰】 喜捨名氏(省略)
※剥離不明部分は『我がすむ里』(文政十三、小川泰二著、白旗神社「藤沢デジタル文庫」)を参考に補填した。