一之井手碑

winecolor | 2014/9/18 00:13
写真登録: winecolor
昭和9年(1934)建立

〔碑文内容〕

 題一之井手碑 愛媛縣知事正五位勲四等一戸二郎

按古傳往昔在河野十八將中松末美濃守通爲之臣井手若狭達文武殊抱經
國之材盡忠其主矣先是河野氏令桑原河内守通興移于鷺森城松末氏兼桑
原城主子時在井上郷湯山菊森城主三好長門守秀吉桑原郷旗寺丸山城主
大祝日向守安勝皆属河野氏當時石手川稱井河岩堰未開鑿其水氾濫于井
上郷溝邊石手衝勝山過味酒垣生両郷注海故桑原郷無灌漑之便荒野□田
而耳若狭憂之勸其主交渉三好大祝二氏于爰置堰開閘堀井手至束野山背
分二流上支灌正圓寺桑原東部松末旗寺三町及久米郡吉井郷福音寺下支
漑樽味桑原西部及松末一部而此工爲至難者二乃鮒川渓與郷之井手窪也
前者上流湛池調節水量縛下流架石樋以渡水後者開三箇閘取中山栗林山
枡之土閘上築坡長百間坡上作溝遣水其盡所使堀池貯水餘水潤福音寺焉
工起永禄末年竣天正七年所役灌漑區内民而耳所得良田二千六百餘畝地
方農業依之興稱謂一之井手即催能樂分支之地祝之焉然未三歳織田侵毛
利報到于河野氏通直令諸將戒嚴蓋通直妻元就女也松末通爲告部下曰財
用之宜減食禄充軍備爲宗家也利己之輩不懌曰重臣若狭妄興不急之工至
茲請先罰彼於是終賜死天正十三年五月朔屠腹用遺言葬于骸桑原新開之
髙阜焉享年不詳若狭逝星霜三百五十三偉業與山髙與川長今茲灌漑區内
之民欽仰厥徳立碑井口勒功名垂不朽云爾
                                    元麓隠士 稿
愛媛県 松山市 高野町 26
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コメント (4)

winecolor
碑文(上)碑文(中)碑文(下)
読みやすい碑文ですが、一部読めない箇所があり、また読み間違いもあると思いますので、
例によって、碑文の本文を拡大三分割にしてUPしました。
garan
いつも使ってるPC使えなくなり、文書ファイルの添付がうまくできませんので、直貼りします。疑問字を[ ]で囲ってあります。見づらいですがご勘弁を。
[題額]國本培養之基
[本文] 題一之井手碑 愛媛縣知事正五位勲四等一戸二郎
按古傳往昔在河野十八將中松末美濃守通爲之臣井手若狭達文武殊抱經
國之材盡忠其主矣先是河野氏令桑原河内守通[興]移于鷺森城松末氏[兼]桑
原城主子時在井上郷湯山菊森城主三好長門守秀吉桑原郷旗寺丸山城主
大祝日向守安勝皆属河野氏當時石手川稱井河岩堰未開[鑿]其水氾濫于井
上郷溝邊石手衝勝山過味酒垣生両郷注海故桑原郷無灌漑之便荒野□田
而耳若狭[憂]之勸其主交渉三好大祝二氏于爰置堰開閘堀井手至束野山背
分二流上支灌正圓寺桑原東[部]松末旗寺三町及久米郡吉井郷福音寺下支
[漑]樽味桑原西部及松末一部而此工爲至難者二乃鮒川溪與郷之井手窪也
前者上流湛池調節水量縛下流架石[樋]以渡水後者開三箇閘取中山栗林山
枡之土閘上築坡長[百間]坡上作溝[遣]水其盡所使[堀]池貯水餘水潤福音寺焉
工起永禄末年竣天正七年所役灌漑區内民而[耳]所得良田二千六百餘畝地
方農業依之興稱謂一之井手即催能樂分支之地祝之焉然未三歳織田侵毛
利報到于河野氏通直令諸將戒嚴蓋通直妻元就女也松末通爲告部下[曰]財
用之[宜]減食禄充軍備爲宗家也利己之輩不[懌]曰重臣若狭妄興不急之工至
茲請先罰彼於是終賜死天正十三年五月朔屠腹用遺言葬于骸桑原新開之
髙阜焉享年不詳若狭逝星霜三百五十三偉業與山髙與川長今茲灌漑區内
之民欽仰厥徳立碑井口勒功名垂不朽云爾         元麓隠士 稿
※本文5行目末の「荒野□田」は読めず。「土」+「來」「乗」または「壊」のように見える。あれる・かわく的な文字が来る?
garan
[本文句読]
按古傳、往昔在河野十八將中、松末美濃守通爲之臣、井手若狭、達文武、殊抱經國之材、盡忠其主矣、先是河野氏令桑原河内守通興移于鷺森城、松末氏兼桑原城主、子時在井上郷湯山、菊森城主三好長門守秀吉、桑原郷旗寺丸山城主、大祝日向守安勝、皆属河野氏、當時石手川稱井河、岩堰未開鑿、其水氾濫于井上郷、溝邊石手衝勝山、過味酒・垣生両郷注海、故桑原郷無灌漑之便、荒野□田而耳、若狭憂之、勸其主交渉、三好・大祝二氏、于爰置堰、開閘堀井手、至束野山背、分二流、上支灌正圓寺・桑原東部・松末・旗寺三町、及久米郡吉井郷福音寺、下支漑樽味・桑原西部、及松末一部、而此工爲至難者二、乃鮒川溪與郷之井手窪也、前者上流湛池、調節水量、縛下流架石樋以渡水、後者開三箇閘取中山・栗林・山枡之土閘上、築坡長百間、坡上作溝遣水、其盡所、使堀池貯水、餘水潤福音寺焉、工起永禄末年、竣天正七年、所役灌漑區内民而耳、所得良田二千六百餘畝、地方農業、依之興稱謂一之井手、即催能樂分支之地祝之焉、然未三歳、織田侵毛利、報到于河野氏、通直令諸將戒嚴、蓋通直妻元就女也、松末通爲告部下曰、財用之宜減食禄充軍備、爲宗家也、利己之輩、不懌曰、重臣若狭妄興不急之工、至茲請先罰彼於是終賜死、天正十三年五月朔、屠腹用遺言、葬于骸桑原新開之髙阜焉、享年不詳、若狭逝星霜三百五十三、偉業與山髙・與川長、今茲灌漑區内之民、欽仰厥徳、立碑井口、勒功名垂、不朽云爾
winecolor
>がらんさん

解読していただきありがとうございます。
メモ欄の碑文内容は修正致しました。

今後とも宜しくお願いします。