なると4 » コメント一覧

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なると4
一文字目は、雨の下に□□□その下が王 となっています。
もしかして靈(霊の旧字体)の事でしょうか?
とりあえずタイトルは「霊宝塔」としてあります。
親マップ: 霊宝塔 by なると4
なると4
南無妙法蓮華経 圓隆庵

此ノ宝塔ハ開山重宣完日玖上人建立圓隆庵跡也
寛永元年四月林崎南殿町地をエラビ移転
堂宇ヲ建立重宣圓隆寺と称ス
なると4
この場所にありました。
場所不確かをはずしておきます。
親マップ: 残念石 by route507
なると4
説明文がわかりにくい場合は、縮小前の写真を下記に保存していますので、ご参照願います。
https://photos.app.goo.gl/7iSqiLKpjV...
なると4
縮小前の写真を下記に保存しています。
https://photos.app.goo.gl/7iSqiLKpjV...
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碑文がわかりにくい場合は、縮小前の写真を下記に保存していますので、ご参照願います。
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なると4
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なると4
大阪城公園(大阪市中央区)2017/4/17
園内にはロードトレインが走っています。
豊國神社前 = 極楽橋 = 東外濠 = ※駐車場前 = 森ノ宮
なると4
蓮如上人の筆跡で「南無阿弥陀仏」と刻まれているそうです。
なると4
蓮如上人碑
 御土御門天皇ノ御代明應五年十月 本願寺第八世蓮如上人佛
法弘通ノ為メ地ヲ石山ニ卜シテ一宇ノ坊舎ヲ建テラル 是レ所
謂後ノ石山本願寺ナリ 當時上人自ラ述ヘテ曰ク
 抑當國摂州東成郡生玉ノ庄内大坂トイフ在所ハ往古ヨリイカ
 ナル約束ノアリケルニヤサンヌル明應第五ノ秋下旬ノコロヨ
 リカリソメナカラコノ在所ヲミソメシヨリステニカタノコト
 ク一宇ノ坊舎ヲ建立セシメ 云々ト
爾来幾多ノ變遷ヲ経ト雖モ當時ノ寺跡ハ明カニ此地ニシテ上人
ノ袈裟掛松ト稱スル老松ノ舊株猶存セリ 因テ此靈地ニ尊號ノ
碑ヲ建テ有縁ノ道俗ト共ニ上人ノ芳躅ヲ追懐セント欲シ茲ニ其
略縁ヲ誌スト云爾

   昭和四年五月 大阪城 行幸ノ際 信者識
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碑文は以下を参考にしました。
ぶらり重兵衛の歴史探訪2(http://burari2161.fc2web.com/ )
なると4
大阪城(大阪市中央区)2017/4/17大阪城(大阪市中央区)2017/4/17
内堀と桜。
なると4
46-浄瑠璃寺-御姿(2017/7/15)46-浄瑠璃寺-朱印(2017/7/15)47-八坂寺-御姿(2017/7/15)47-八坂寺-朱印(2017/7/15)48-西林-御姿(2017/7/15)48-西林-朱印(2017/7/15)49-浄土寺-御姿(2017/7/15)49-浄土寺-朱印(2017/7/15)50-繁多寺-御姿(2017/7/15)50-繁多寺-朱印(2017/7/15)
2017/7/15に、46番 浄瑠璃寺、47番 八坂寺、48番 西林寺、49番 浄土寺、50番 繁多寺を参拝しました。
距離が近いため一気に5カ寺回ることができました。
なると4
本堂と大師堂の間に移動しました。
なると4
繁多寺

 四国八十八ケ所五十番札所で、本尊は薬師如来である。
 寺伝によると、孝謙天皇の勅願により、天平勝宝年間(749~756)に僧行基が開創したという。このとき、天皇から数流の旛を賜ったおで「旛多寺」から「繁多寺」と呼ばれるようになり、「畑寺」の地名も生まれたという。
 『一遍聖絵』によると、正応元(1288)年、一遍上人が最後の遊行に出る前に大宝寺や岩屋寺を巡拝して当寺に三日間参籠し、そのとき、亡父如仏の追善のために三部経を奉納した。
 応永元(1394)年、後小松天皇の諭旨を受けて京都の泉湧寺から、当山第七世住職となる快翁宗師が下向し、以後多くの高僧が来往した。盛時には末院が120か寺に及んだという。
 当時の梵鐘は元禄九(1696)年の銘があり、あらゆる階層の人々百人の寄進によって造られた寺宝である。また、徳川将軍家綱の念持仏であったという大聖歓喜天を祀っている。
       
                 松山市教育委員会
なると4
2017/8/14現在は、当日の試合結果や高校野球関連のパネルとなっています。
なると4
がらんさん

ありがとうございます。
「満」ですか。どおりで「雨」では見つかりませんでした。
なると4
建物裏ではなく横でしたので、場所を移動しました。
親マップ: 浄土寺六地蔵 by DEARALG
なると4
場所を本堂と大師堂の間に移動しました。
なると4
霜月の空也は骨に生きにける
  正岡 子規 (1867-1902 慶応3年-明治35年)

 明治29年12月3日刊の雑誌「太陽」に載った冬の句で『寒山落木』第五巻にのる。空也(903-972)(延喜3年-天禄3年)は阿弥陀聖ともいわれ、三年間、浄土寺に立ち止まったとも。「骨に生きる」とは、「空也の肉体は白骨となっても、人々の胸には念仏のお添えが今も生きている」の意。
 句碑の文字は前高野山管長森寛紹大僧正の筆で、「白象」と号した。境内には白象の句碑も建立されている。


お遍路や杖を大師とたのみつゝ
  森 白象 (1989-1994 明治33年-平成6年)

 森白象は温泉郡重信町(現東温市)出身。高浜虚子に師事した。


               松山市教育委員会
         『俳句の里 松山』
なると4
二文字目の文字は?
なると4
浄土寺
 四国八十八か所の四十九番札所である。西林山三蔵院と号し、本尊は釈迦如来である。
 寺伝によると、天平年間(729~749)、僧慧明が創建し、孝謙天皇の勅願所となったという。天徳四(960)年、僧空也が諸国遍歴の途中、三年ほど滞在し、自刻の木造を遺したと伝えられる。建久三(1192)には、源頼朝が、伊予の豪族河野通信ともども家門の繁栄を祈り、堂塔の修理に力を与えている。境内に六六坊の末寺を有する巨刹だったが、応永二三(1416)年、兵火で堂宇をことごとく焼失し、文明一六(1484)年に河野通宣が再建して寺の景観は旧に復した。その後、室町時代末期の兵火、更にまた、慶弔五(1600)年には河野氏の残党が毛利軍とともに久米で戦った「久米の役」によって衰幣したが、その後、法印宥雄がこの寺の再興に尽くしたという。
         松山市教育委員会
なると4
日本遺産「四国遍路」 四国霊場第49番札所 浄土寺 Jodoji

 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1,400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの1つとして、日本遺産に認定された。
 第49番札所の浄土寺は、西林山三蔵院と号する真言宗寺院で、本尊は釈迦如来。孝謙天皇の勅願によって行基が創建し、民間浄土教の始祖とされる空也上人が滞在したと伝える。中世には河野氏の保護を受け栄えた。
親マップ: 日本遺産 by なると4
なると4
日本遺産「四国遍路」 四国霊場第48番札所 西林寺 Sairinji

 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1,400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの1つとして、日本遺産に認定された。
 第48番札所の西林寺は、清滝山(せいりゅうざん)安養院と号する真言宗寺院で、本尊は十一面観音。寺伝によれば、もとは徳威の里という地にあったが、大同2年(807)に弘法大師が当地に移したという。
なると4
秋風や
 高井のていれぎ三津の鯛
   正岡 子規 (1867-1902 慶応3年-明治35年)

 この句は明治28年の作で、「故郷の蓴鱸(じゅんろ)くひたしといひし人もありとか」と前書きしてこの句がある。「蓴鱸」は「蓴羮・鱸膾(じゅんこう・ろかい)」の略で、「じゅんさい(蓴)の吸物と、すずき(鱸)のなます」のこと。昔、中国の晋の張翰(ちょうかん)が、秋風が吹きはじめると、故郷のこの料理が食べたくて退官して郷里に帰った故事による言葉。子規の望郷の心があふれている。子規自筆。昭和38年10月建立。

          松山市教育委員会
    『俳句の里 松山』
なると4
          ふしあわせ
お偏路の誰もが持てる不仕合
      もり はくしょう
       森   白象  (1899-1994 明治32年-平成6年)

本名 寛紹。明治32年、温泉郡重信町(現東温市)生まれ。元高野山真言宗管長・高野山真言宗本山金剛峰寺第406世座主。平成6年、95歳で遷化。
 昭和2年、日本文学夏期大学が高野山で開催されたとき、講師として招かれていたのが高浜虚子で、それが縁となり虚子に師事することになる。
 この句は、白象の三男が亡くなり、遺骨を携え四国巡礼に出たとき、遍路の心にはそれぞれの思いと影があることを思い詠んだもの。

             松山市教育委員会
   『俳句の里 松山』
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八坂寺
 
 四国八十八か所の四十八番札所である。熊野山妙見院と号し、真言宗醍醐派の寺院である。
 寺伝によると、600年代に修験道の開祖役行者小角が開山、大宝元(701)年に文武天皇の勅願所として小千(越智)伊予守玉興が七堂伽藍を建てたという。
 中世には、紀伊国(和歌山県)から熊野十二所権現が勧請され、熊野山八王寺と呼ばれるようになった。七堂伽藍はじめ12の宿坊、48の末寺を持つ大寺院で、修験道の根本道場として栄え、隆盛を極めたという。戦国時代に兵火のため堂宇が灰燼に帰し、後に再興して今の地に移ったと伝えられる。この寺は、修験道のため、住職は代々八坂家の世襲であり、百数十代になるという。
 本尊は、阿弥陀如来坐像(愛媛県指定有形文化財)で鎌倉時代の恵心僧都源信の作と伝えられる。
          
           松山市教育委員会
なると4
宝篋印塔  一基
         松山市指定有形文化財(建造物)
         昭和43年10月25日指定

 過去、現在、未来にわたる諸仏の全身舎利を奉蔵するために「宝篋印陀羅尼経」を納めた供養等を宝篋印塔という。石造塔中、五輪塔とともに普遍的なものである。
 宝篋印塔は、平安時代末期から造立され、基礎(基台)・塔身・笠・相輪からなり、方柱の部分が宝である陀羅尼経を納める篋の塔身である。
 本塔は塔高190センチメートルで、石質は花崗岩である。
 笠の四隅の隅飾突起は直立ぎみであり、造立紀年銘を欠くが、像容、製作技法などが鎌倉様式であるので、鎌倉時代末期と推定している。

        松山市教育委員会
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日本遺産 「四国遍路」 四国霊場第47番札所 岩本寺 Yasakaji

 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1,400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、
1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。地域住民の温かい「お接待」を受けながら、
国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語
るストーリーの1つとして、日本遺産に認定された。
 第47番札所の八坂寺は熊野山妙見院と号する真言宗寺院で、本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば文武天皇の勅願によって伊予国の越智玉興が創建し、のちに弘法大師が再興したという。かつては修験道の道場として栄えた。
なると4
winecolorさん へ

了解しました。
いつになるかはわかりませんが(笑
貞光方面に行くときに確認してみます。
親マップ: 真鍋勝像 by winecolor
なると4
浄瑠璃寺(愛媛県松山市浄瑠璃町)2017/7/15浄瑠璃寺(愛媛県松山市浄瑠璃町)2017/7/15浄瑠璃寺(愛媛県松山市浄瑠璃町)2017/7/15
一願弁天の左奥に蓮池がありました。
シオカラトンボが蓮の蕾に止まっているところが撮影できました。
なると4
浄瑠璃寺
 四国八十八か所の四十六番札所である。寺名は、医王山浄瑠璃寺、本尊は薬師如来である。寺伝によると、和銅元(708)年、僧行基が開山、自ら白檀の木で本尊をつくったという。
 室町時代末期、荏原城主の平岡通倚が病に苦しみ、この寺の本尊に祈願し、まもなく全快したため、土地を寄進して堂宇を建立し、深く帰依したと伝えられる。その後、正徳五(1715)年に山火事で建物、本尊すべてが消失したという。
 江戸時代中期、この村の庄屋井口家から仏門に入り、当寺の住職になった堯音(1733~1820)が寺を再興したと伝えられている。堯音は、久万からの遍路道が、毎年のように出水時に流され、人々が難儀していることを知り、七六歳で托鉢僧となった。各地を回り喜捨を集めた堯音は、岩屋寺あたりから順に川に橋をかけ、最後に立花橋をかけた。今も、丹波橋、出口橋など、堯音がかけた八本の橋の幾つかが伝えられている。

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なると4
塔には「生きとし生けるもの命永〇〇〇らかに」と刻まれています。
説明柱には「あらゆる生物の慰霊と存続を祈る おん かかかび さんまえい そわか」とあります。
※真言は、地蔵菩薩のものです。
なると4
説明柱には「仏手花判 ほとけの指紋 なでて心身堅固文筆達成成功を念ず」とあります。
なると4
説明書きには
「おしゃかさまが説法され修行されたインド霊鷲山の石が埋めこんであります。中央のもようの中」
とあります。
なると4
説明書きに「ハダシで踏みなさい」とあいます。
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横の説明柱には「高く知恵の燈を掲げて あなたの人生を照らします」とあります。
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石の上部にはお釈迦様の手形があります。
横の柱には「あらゆる文化を造り出す手に感謝…」とあります。
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イブキ 三本
       松山市指定天然記念物
       昭和43年10月25日指定
 地名、イブキ。ヒノキ科ビャクシン属の植物で別名イブキビャクシンよばれ多くの品種・変種がある。福島県以南の海岸地方や島に多く自生しており、園芸品種が多く、公園・庭園に植栽されることも多い。
 この境内にも三本のイブキの大木がある。これらの大きさは、それぞれ胸高幹周4.8メートル、3.5メートル、3.3メートルあり、高さは約20メートルあって、樹齢は1000年くらいといわれている。残りの二本は本堂裏にある。
 このほか、市内では上野町大宮八幡宮内に金平狸が住みついていたという伝説で有名な幹周5.2メートルもあるイブキがある。

       松山市教育委員会
なると4
薬師如来は九横(九つの災難)を救う
一、不治の病の患る
二、暴力非行に会う
三、淫酒に耽れる
四、火熱傷をおう
五、水難にあう
六、獣蛇に咬まれる
七、崖から転落する
八、毒呪に中る
九、渇き飢える
なると4
がらんさま

ありがとうございます。
検索してみると「妙」が正解のようですネ。
なると4
44-大寶寺-御影(2017/6/3)44-大寶寺-朱印(2017/6/3)45-岩屋寺-御影(2017/6/3)45-岩屋寺-朱印(2017/6/3)
2017/6/3に、44番 大寶寺、45番 岩屋寺を参拝しました。
2014/8/23に始めてから2年でやっと半分です。
この調子でいくと後2年かかりますネ。(笑
なると4
なると4
刻まれた文字は「白山仙理大菩薩」でしょうか?

元画像
https://photos.google.com/share/AF1Q...
なると4
岩屋寺第六世住職伊藤隆健師の句碑のようです。
なると4
何の碑かは確認しておりません。
なると4
日本遺産 「四国遍路」 四国霊場第45番札所 岩屋寺 Iwayaji

 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1,400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの1つとして、日本遺産に認定された。
 第45番札所の岩屋寺は、海岸山と号する真言宗の寺院で、岩峰が屹立し、岩壁には多くの洞窟がある。文永10年(1273)には一遍上人が参籠。「一遍聖絵」に「大師練行の古跡」が記され、弘法大師の修業地と伝えている。
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