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garan
(碑陰)
老友船茂孝阿翁東京向島人以慈悲博愛
爲楽家有餘貸則義捐公事賑恤窮困園有
餘地則貸與学校不收其價頃者在鎌倉寄
書曰圓覺寺梵鐘北條貞時所鑄蓋祈其父
時宗及元寇殉難士冥福也吾亦欲建碑於
鐘樓側弔卅七八年役彼我戰死病歿者余
謂慈悲佛陀之本願也博愛人道之極致也
翁之此擧不獨足慰藉死者靈其關世道人
心不為尠故余喜記之併及翁平生如此
明治三十九年二月
陸軍教授従六位勲六等丸山正彦撰竝書
        藤澤廣田仲太郎刻之
篆額 當山二百十世大教正  
            宮路宗海書
親マップ: 表忠碑 by がらん
garan
洪鐘道 これよりおほかね道 
茲有武陽川越之産心江道圓沙彌者夙発志願廻旋扶桑木□□毎州
奉納大乗妙典全部以償宿債今茲當求願圓成之日捨淨財命工奉造
建一基之石表永充供養且爲當寺洪鐘徑路之道引今往還群生無迷途之患云
 維時元文初歳舎丙辰仲冬如意珠日
garan
國寶大鐘道 
洪鐘辯才天道 
梅澤氏某妻□哀子資道宗恕信士書寫彌陀名號□
十萬遍埋□□山□樓邉而欲建標石於其工教参詣
人不迷取□□□佛名書寫勒則念念即弥陀字字即
浄土永脱塵芥幽顯俱救厥績厥功與石不朽
 文化九壬申年二月  山崎村  梅澤氏
garan
読めず
・妻との夢を 一聲夜々□  
親マップ: 句碑 by winecolor
garan
煢の異体字で下を「几(人)」につくっています。煢、音ケイ、意味は独り身
・震水煢靈塚
garan
読んでみた
・かくらお(神楽男)に しつより坐して もろひとを さきはひ(幸)給ふ 丹生の大神
garan
winecolorさま、おはようございます 読んでみました
・世の中は しらぬこそよかれ 山風を 松の小末に きゝたかる身の   霞城
garan
なると4さま おはようございます。
○についというか句の読み方に悩みました。
○は「香」。
白妙の 土佐寒蘭の 香なりけり  杏子
「白妙」という寒蘭があるそうですが、それは薩摩系のもので、ここでは「土佐寒蘭」と言っているので、白花か、斑入りの物にかけているのか、土佐にかかる枕ことばのか。
これを読んでるブログを見つけましたがちょっと読み方が違います。黒田杏子の作と書いてありました。カメの碑も載ってました。
http://plaza.rakuten.co.jp/hitoshisa...
garan
1階在来線ホーム 15番線(旧東北本線)車止め前
garan
winecolorさま こんばんは
画像とデータをちょこっと加えました。
親マップ: 翼の像 by winecolor
garan
貴重なお知らせありがとうございます
garan
春日大社展(来週の日曜まで)に出かけたら新しい仲間が増えていました。
和装に見えないイケメンなり
garan
志士之碑
昔者荊軻入秦蹀血貫義何况至誠許國壮烈
殉難鬼神豈有不泣哉甲辰乙巳之役勇將猛
卒爲國斃者不可勝數皆足以垂不朽而余獨
於横川省三沖禎介松崎保一中山直熊脇光
三田邨一三六士之死欲不泣而不能也六士
非籍在軍伍身無執戟之責尋常保躬誰儀之
乃不然 天詔煥發外患方棘也憂憤飲血蹶
起謀事意謂國恩荷重社稷阽危此王事不遑
啓處男兒裏屍馬革之秋也事也國與身偕享
之不成獨死其事耳乃指天誓死披肝結義剃
頭故服深入不測之地蓋在欲履危出奇脅敵
背以牽制焉何其志之壯也朔漠冱寒手拆膚
裂鬚眉皆凍荒野千里飲無水食無糧困頓窮
苦冰天雪窟晝伏夜行將一擧爆破雅兒銕橋
機正熟而銕騎突至于嗟已矣壯圖一蹶横川
沖之二士先落敵手檻車送賓
garan
・滝川惟一養老瀑泉詩碑(養老六古碑之内)釋文
多度山高跨二州 飛泉百尺劈崖流 一條縞練懸如晒 萬点明珠砕不収
曽爲先王療痼疾 又教孝子解窮愁 善吾衰境受恩厚 千里來爲養老遊
濃州笠松令瀧川惟一題
文化九年壬申夏 瀧令寄似此詩予爲書之使其刻石庶幾長与此山不朽矣。
     詩佛老人 大窪行識

garan
釋文
【篆額】小金井櫻樹碑
【本文】
小金井櫻樹碑文
挾南滕忠休明夫識  
庠淵上條游子藝書  
肥前守藤原義行朝臣題額  
武州多摩郡玉川上水小金井橋上下両岸櫻樹、 有廟時、 川﨑平右衛門定孝之所種、大凡古者十里餘、今二里間、千株餘云、初定孝及武野墾闢役與而有功、遂解褐司郡、於是乎、請而承 朝命、採芳野及諸邦名種雜種之、郡民子来封植亟畢、實元文二年丁巳歳也、其擧慮衆根深入堤中、而長無壊闕之患、則両岸樹數均、 而南岸葉茂、北岸花盛者、豈徒哉、相其陰陽度其便宜、春随艶陽悦往来目、夏障炎光使行旅憩、且開花鮮美映加清潔、落英繽紛浮不汚穢、又且吾 東方醫家一二方凾櫻嶽及花獄用解毒劑、則水毒亦可解、况両岸千樹相蔭暎、直流径入 東都、何毒之有、宜億兆爨炊之用、煎茶第一之水、所薦於鬼神羞於公侯誠忠用心庶乎仁政一助哉、前十餘年、余誘女婿石子亨、與郷里親舊、歴覧多摩郡中名區、擇優者八所、與子亨議定其目、各附題辭審事實、其一金橋櫻花即此所也、遂題為武野八景、梓以公乎世、於是人察奇勝欲一覧者不尠、爾後遊人毎春相倍從野路、緜緜人肩摩馬蹄連騒人、詞客吟詠相競異説稍間起、余恐吾題辭相混亂人以為鹵莽、與子亨同就定孝孫川崎平蔵于押立村質、訪始終三人相謀刻石防違乎永世、銘曰、
 物之隠顯 遅速有時 千株之櫻 十里水涯 両岸相均 初種者誰 司郡定孝 従何致之 芳野他山
 遠採爰移 多種夭夭 争美花期 瞻望悠遠 若雲離披 土人慣目 猶未甚奇 况都人士 豈曽聞知
 俄然一顕 遊客追随 往還知織 先後連騎 時哉今顕 盛賞花宜 稱種者功 功亦盛馳
文化七庚午年春三月二十一日建
中慶雲刻  
親マップ: 小金井櫻樹碑 by がらん
garan
この碑については菘翁書丹の原稿本が四種伝わっているらしい。http://www.all-japan-arts.com/syodou...
garan
延喜式内伊賀留我神社者、祭神 天照大御神也、攝社稱齋宮者、祭神倭姫命、鎮座伊勢國朝明郡額田郷鵤村額突山東字班鳩有年矣、及明治三年、官考覈諸社、里正某・神官森氏乞余録該社之事、余謝不敏而不允不得己、而諾及敢盡駑鈍之力、謹校舊典皇太神宮儀式帳及倭姫命世記云、活目天皇御世、皇大神從桑名野代宮、遷産鈴鹿忍山宮之際、頓宮此地、即進神御田鵤御厨三町、見于神鳳鈔、若夫別當寺者曹洞宗、而称班鳩山大膳寺、天正七年離回禄而亡、因云額突山麓天武天皇社者、白鳳元年夏六月潜幸之際、於朝明郡迹太川邊望拝天照大神時、獻淅因洗米於迹太川、自後方俗呼之米洗川也、以故垂阪村奉麹於太神宮及禁裏御所、所謂額田御厨是也、確證如此、後世堙没是懼、故建碑以刻其由縁焉、
                       三重刑部隠士館通因謹誌
   明治十五年秋十月
garan
『萬年泉銘』釋文
【碑題】
元文四年己未六月穀旦
 萬年泉
    [削去]謹書
【碑陰・右側】
 萬年泉銘併序
上野有榛名山、層嶂重巒險阻而盤回、西北嶺口窪為一泓池、濶數千畝、池之左路通信州、亶一太山、乎山有祠廟、奉代元湯彦命、命宇摩志麻治命之子、相神武綏靖後入山之窟隠去、乃其薨矣、其窟窈冝深淺莫測焉、用明時始架構於前、即今廟受也、相絶十三四歩許、路左出檻泉□涌自巖竇、雖果潦弗溢弗涸、名曰萬年泉、縁崖穿爲沮爲仰、而太一陰自佳致、凡州人祷雨之泉、祈挹盛諸杓旋、則享于里中社、輙有徴、應其賽、報以返之云、亦一奇也、山多勝概、泉居其甲、固将有待是記、歳庚申三月、□□佐藤芳充請勒于石、余因而銘詩及辭曰、
 山以榛名 泉以年靈 維地之寧 于死于生 何其蒙亡 自幽宮池 任坎中也 無不通池 發源掻沸 流注不竭 廼茲斟酌 雨暘時若 享獨肥泉 雲木則仙 云胡然兮 億萬斯年兮
 元文五年庚申六月上巳日  長崎平君舒撰
親マップ: 萬年泉碑 by がらん
garan
「強軍地蔵」とは初めて見ました。寡聞にして他にしらず。
親マップ: 強軍地蔵 by がらん
garan
 いわれあるんですね。
 鳥居の亀趺も始めてみました。情報ありがとうございます。
garan
なると4さま おはようございます
 碑ののっかった贔屓(ヒイキ)の台石を亀趺というんですが、ウミガメのは初めて見ました。石鐘は三重で見たことがあります。そこは鋳造の予算がなく石で作ったとか。調べると戦時供出でかわりに石の鐘に替えたところもあるようです。
※三重の石鐘 http://hizou.30maps.com/map/132642
garan
winecolorさま おはようございます
木村珪二(1904-1971 )かな。日展評議員。落款画像が記録してあったのでなんとか検索。
garan
テレビ朝日 羽鳥慎一モーニングショー 
2017年1月19日(木) 8時00分~9時55分 ▽遠方からはるばる行列「幻の駅弁」.
チラっと写ってました

garan
winecolorさま こんばんは
 廣群鶴の刻字をおっかけて「小笠原新治碑」を捜索していたらこのスレにたどり着きました。隅々までチェック入ってますね。ぼくも未訪問なのではっきり言えませんが、港の近くにある道標と国地院地図の「石碑」記号から、位置を修しました。http://hizou.30maps.com/map/161957
 明治10年、大久保利通撰文・篆額、日下部東作書、石工廣群鶴(建立は明治13)
 「小笠原新治碑」(文久元、黒川春村撰、廣群鶴鐫)「にほへ碑(筆塚)」「無人島発見の碑」も近くにあるようですが位置特定できないのでどなたか確認を。
親マップ: 小笠原開拓碑 by winecolor
garan
地蔵は見落としたらしい
garan
位置を修しました
garan
route507さま おはようございます。
 一年後の討ち入りには「史蹟」の高札もついてごらんのとおり。周辺の歩道工事は未完のようですね。その後もう一度立ち寄った記憶があるがいつだか。
garan
winecolorさま あけましておめでとうございます
 わざわざ訳して清書したこの額最後の「友恵」は「友悳(徳)」の誤りで、明治の漢学者服部芙蓉のことですね。鉛筆の写しの方が正解です。もっともwinecolorさまのせいじゃありませんが。本年もよろしく。
garan
atsumareさま
 貴重なお知らせありがとうございます。三好竹陰さんとの確認が取れてよかったです。筆塚もマッピングお願いいたします。
garan
 同町の鬼王丸はwinecolorさまがチェック済
http://hizou.30maps.com/map/85004
garan
winecolorさま こんばんは
 やはりチェックしてますね。同町に新しく「鬼の母子像」フィギュアお目見えだそうです。
http://hizou.30maps.com/map/159878
親マップ: 鬼王丸 by winecolor
garan
 吉祥寺は文京区本郷にあるお寺で、その門前町の人々が移住して開いたのが武蔵野の吉祥寺村だと、お寺案内をしてくれた友達の談です。
garan
winecolorさま こんばんは。
 いつもながらきっちりチェックされてますね。ぼくも東京に出てずいぶん経ちますがずっと地名かと思っててたらお寺だったんですね。もっとも駅に降りても周辺しか用もなかったですし。
garan
芭蕉の句碑ですね。
けふはかり 人もとしよれ 初時雨  はせを翁
文質彬彬其徳維馥 勒珉不朽永言矜成 文政庚辰十月貫三建
(文政三年)
garan
大覚寺山門大覚寺本堂
ここのお寺には記録すべき額やら標石などがありませんでした。
garan
      朝顔の松の由来
 昔、ここに一本の大きな松がありました。
 江戸時代、大井川には橋がかけられず、川越人足の手を借りて川を渡っていました。
そしてヽ雨が降って川の水かさが増すと、しばしば川止めとなりヽ旅人たちはヽ宿屋に、
足止めされました。
 ここには次のような物語があります。安芸国(広島県)の娘深雪が、宮仕え中の京都で、
蛍狩りに行き宮城阿曽次郎という青年と恋仲になります。
 その後、国もとに帰った深雪は、親から駒沢次郎左衛門という武士を婚約者に決めたと
聞かされます。
 しかし、その人こそ駒沢家を継いだ阿曽次郎とは知らずに家出をし、朝顔という名の
門付け(三味線弾き)となって阿曽次郎をたすね諸国をさまよううちに目が見えなくなっ
てしまいます。
 ゆえあって、島田の宿に来、宿屋の軒ごとに哀切きわまりない歌を流し歩いていると、
ある座敷から声がかかります。
 この声の主こそ、さがし求める阿曽次郎でしたが、彼は主命をおびた急ぎ旅のため、
また、朝顔は目が見えなかったため名乗りあえずに別れてしまいます。
 あとで阿曽次郎と知った朝顔は、急いて追いかけますが、大井川まで来ると、ちようど
川止め。半狂乱となった朝顔は、激流に飛び込もうとしますが、宿屋の主人戎屋徳右衛門
(実は深曾の祖父に仕えていた)に助けられ、その犠牲的行為により目が見えるようにな
ります。          
 その時、はじめて目に映ったのが大きな一本の松でした。          
 この物語を伝えるのにふさわしい大木(目通り一メートル五十六センチ・高さ二十メー
トル)でしたが惜しくも昭和十年代に枯れてしまいヽこれを哀れみ惜しんだ地元の人々    
によってこのお堂が建てられ(平成16年3月再築)、中に木碑にした松が奉納されました。
書かれている題辞は「風松久旁蕣歌曲枯髄猶留瞽女魂(フウシヨウヒサシクホウスシユン
カノキヨクコズイナオトドムゴセノタマシイ)」で、島田市名誉市民の
清水真一氏によるものです。
 この意味は、「松風が朝顔のひく三味線の音に似ている、松は枯れてしまったが、ごぜ
の魂はいまだにその胡(ママ・枯)髄に宿つている」と解釈されます。
 この物語「朝顔日記」は、江戸後期(一八一一年)に作られたものですが、浄瑠璃とし
て上演されて大評判となりました。「生写朝顔話」は、いまでも上演されています。
             島 田 市
garan
お隣にスレッド立ててあったんですが拓本画像だけだったのでこちらに統合させていただきます。
http://hizou.30maps.com/map/62976
garan
なぜかたくさん重複してしまいました。50件の削除制限がかかりましたので重複分は後日削除いたします<(_ _)>
garan
winecolorさま こんばんは
五月の連休に東海道歩きをお付き合いした時の画像とタグを貼り位置を修しました。画像がハレーションしてるのはレンズ内側にごみが付着したことによるらしいです。その点残念な旅でした。
garan
parunasさま おはようございます
この画像は千代田区三番町18の東郷元帥記念公園の碑のようです(未訪問)。表題とポイント位置が違うように思いますので修正をお願いします。なお「オリンピック大会記念の碑」というのが信濃町7にあります。http://hizou.30maps.com/map/150240
garan
もろもろ画像追加ありがとうございます。天候とか雰囲気違ってきますね。
親マップ: アダム by がらん
garan
※春山は第7代藩主伊達宗紀の号で、地元のお年寄は「春山公」と呼んでいました。天赦園は春山公の隠居所だそうです。
garan
winecolorさま こんばんは
西洋美術館から飛んできました。伊達博物館の案内で雨の天赦園に出かけたことがあります。この碑の記憶がないのは、当時碑像MAPもなかったですから案内のままに御殿あたりまで出かけたんですかね。
画像を拝見すると碑文の頭に「天赦園記」とあるのでこちらを碑銘にするのがよいかと思います。「富貴壽康」は碑文に対する題字三條実美の筆。碑文は「左氏撞撰、三好翼敬書」刻字はちょっと見えません。左氏は号珠山、三好は珠山とのつながりから竹陰という人かと思うが未確認です。
garan
夜の西洋美術館
winecolorさま
 先週夜の東博に始めて出かけました。上野公園一体でさまさまなライティングが工夫され楽しい思いをしました。西洋美術館も柔らかな色彩に包まれていました。夜の像を一枚。彫刻画像も楽しみにしています。
garan
蒲原
winecolorさま
ご一緒?の旅もこの辺でお別れですかね。北国街道を進みます。
garan
繁体(旧字)の時は、「齊」はセイ、そろう、「齋」はサイ、部屋の意味です。日本の略字(応用漢字?)はともに斉ですが。
garan
大西 兵馬俑説明
兵馬俑の説明もありました
garan
クマとフクロウもいました。
garan
スト・ビューにはぼろいガラス戸が写ってますが、時代風の格子で修繕したようです。位置不明はずしました。
garan
chakayaanさま
カウントが重複することになりますのでもとのは消去しました。記憶も定かでないくらい前に見ました。なにかいたずらで倒されたことがあるのを思い出してスレッド立てたんですが。
親マップ: 役行者像 by chakayaan
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