garan » コメント一覧

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garan
テレビ朝日 羽鳥慎一モーニングショー 
2017年1月19日(木) 8時00分~9時55分 ▽遠方からはるばる行列「幻の駅弁」.
チラっと写ってました

garan
winecolorさま こんばんは
 廣群鶴の刻字をおっかけて「小笠原新治碑」を捜索していたらこのスレにたどり着きました。隅々までチェック入ってますね。ぼくも未訪問なのではっきり言えませんが、港の近くにある道標と国地院地図の「石碑」記号から、位置を修しました。http://hizou.30maps.com/map/161957
 明治10年、大久保利通撰文・篆額、日下部東作書、石工廣群鶴(建立は明治13)
 「小笠原新治碑」(文久元、黒川春村撰、廣群鶴鐫)「にほへ碑(筆塚)」「無人島発見の碑」も近くにあるようですが位置特定できないのでどなたか確認を。
親マップ: 小笠原開拓碑 by winecolor
garan
地蔵は見落としたらしい
garan
位置を修しました
garan
route507さま おはようございます。
 一年後の討ち入りには「史蹟」の高札もついてごらんのとおり。周辺の歩道工事は未完のようですね。その後もう一度立ち寄った記憶があるがいつだか。
garan
winecolorさま あけましておめでとうございます
 わざわざ訳して清書したこの額最後の「友恵」は「友悳(徳)」の誤りで、明治の漢学者服部芙蓉のことですね。鉛筆の写しの方が正解です。もっともwinecolorさまのせいじゃありませんが。本年もよろしく。
garan
atsumareさま
 貴重なお知らせありがとうございます。三好竹陰さんとの確認が取れてよかったです。筆塚もマッピングお願いいたします。
garan
 同町の鬼王丸はwinecolorさまがチェック済
http://hizou.30maps.com/map/85004
garan
winecolorさま こんばんは
 やはりチェックしてますね。同町に新しく「鬼の母子像」フィギュアお目見えだそうです。
http://hizou.30maps.com/map/159878
親マップ: 鬼王丸 by winecolor
garan
 吉祥寺は文京区本郷にあるお寺で、その門前町の人々が移住して開いたのが武蔵野の吉祥寺村だと、お寺案内をしてくれた友達の談です。
garan
winecolorさま こんばんは。
 いつもながらきっちりチェックされてますね。ぼくも東京に出てずいぶん経ちますがずっと地名かと思っててたらお寺だったんですね。もっとも駅に降りても周辺しか用もなかったですし。
garan
芭蕉の句碑ですね。
けふはかり 人もとしよれ 初時雨  はせを翁
文質彬彬其徳維馥 勒珉不朽永言矜成 文政庚辰十月貫三建
(文政三年)
garan
大覚寺山門大覚寺本堂
ここのお寺には記録すべき額やら標石などがありませんでした。
garan
      朝顔の松の由来
 昔、ここに一本の大きな松がありました。
 江戸時代、大井川には橋がかけられず、川越人足の手を借りて川を渡っていました。
そしてヽ雨が降って川の水かさが増すと、しばしば川止めとなりヽ旅人たちはヽ宿屋に、
足止めされました。
 ここには次のような物語があります。安芸国(広島県)の娘深雪が、宮仕え中の京都で、
蛍狩りに行き宮城阿曽次郎という青年と恋仲になります。
 その後、国もとに帰った深雪は、親から駒沢次郎左衛門という武士を婚約者に決めたと
聞かされます。
 しかし、その人こそ駒沢家を継いだ阿曽次郎とは知らずに家出をし、朝顔という名の
門付け(三味線弾き)となって阿曽次郎をたすね諸国をさまよううちに目が見えなくなっ
てしまいます。
 ゆえあって、島田の宿に来、宿屋の軒ごとに哀切きわまりない歌を流し歩いていると、
ある座敷から声がかかります。
 この声の主こそ、さがし求める阿曽次郎でしたが、彼は主命をおびた急ぎ旅のため、
また、朝顔は目が見えなかったため名乗りあえずに別れてしまいます。
 あとで阿曽次郎と知った朝顔は、急いて追いかけますが、大井川まで来ると、ちようど
川止め。半狂乱となった朝顔は、激流に飛び込もうとしますが、宿屋の主人戎屋徳右衛門
(実は深曾の祖父に仕えていた)に助けられ、その犠牲的行為により目が見えるようにな
ります。          
 その時、はじめて目に映ったのが大きな一本の松でした。          
 この物語を伝えるのにふさわしい大木(目通り一メートル五十六センチ・高さ二十メー
トル)でしたが惜しくも昭和十年代に枯れてしまいヽこれを哀れみ惜しんだ地元の人々    
によってこのお堂が建てられ(平成16年3月再築)、中に木碑にした松が奉納されました。
書かれている題辞は「風松久旁蕣歌曲枯髄猶留瞽女魂(フウシヨウヒサシクホウスシユン
カノキヨクコズイナオトドムゴセノタマシイ)」で、島田市名誉市民の
清水真一氏によるものです。
 この意味は、「松風が朝顔のひく三味線の音に似ている、松は枯れてしまったが、ごぜ
の魂はいまだにその胡(ママ・枯)髄に宿つている」と解釈されます。
 この物語「朝顔日記」は、江戸後期(一八一一年)に作られたものですが、浄瑠璃とし
て上演されて大評判となりました。「生写朝顔話」は、いまでも上演されています。
             島 田 市
garan
お隣にスレッド立ててあったんですが拓本画像だけだったのでこちらに統合させていただきます。
http://hizou.30maps.com/map/62976
garan
なぜかたくさん重複してしまいました。50件の削除制限がかかりましたので重複分は後日削除いたします<(_ _)>
garan
winecolorさま こんばんは
五月の連休に東海道歩きをお付き合いした時の画像とタグを貼り位置を修しました。画像がハレーションしてるのはレンズ内側にごみが付着したことによるらしいです。その点残念な旅でした。
garan
parunasさま おはようございます
この画像は千代田区三番町18の東郷元帥記念公園の碑のようです(未訪問)。表題とポイント位置が違うように思いますので修正をお願いします。なお「オリンピック大会記念の碑」というのが信濃町7にあります。http://hizou.30maps.com/map/150240
garan
もろもろ画像追加ありがとうございます。天候とか雰囲気違ってきますね。
親マップ: アダム by がらん
garan
※春山は第7代藩主伊達宗紀の号で、地元のお年寄は「春山公」と呼んでいました。天赦園は春山公の隠居所だそうです。
garan
winecolorさま こんばんは
西洋美術館から飛んできました。伊達博物館の案内で雨の天赦園に出かけたことがあります。この碑の記憶がないのは、当時碑像MAPもなかったですから案内のままに御殿あたりまで出かけたんですかね。
画像を拝見すると碑文の頭に「天赦園記」とあるのでこちらを碑銘にするのがよいかと思います。「富貴壽康」は碑文に対する題字三條実美の筆。碑文は「左氏撞撰、三好翼敬書」刻字はちょっと見えません。左氏は号珠山、三好は珠山とのつながりから竹陰という人かと思うが未確認です。
garan
夜の西洋美術館
winecolorさま
 先週夜の東博に始めて出かけました。上野公園一体でさまさまなライティングが工夫され楽しい思いをしました。西洋美術館も柔らかな色彩に包まれていました。夜の像を一枚。彫刻画像も楽しみにしています。
garan
蒲原
winecolorさま
ご一緒?の旅もこの辺でお別れですかね。北国街道を進みます。
garan
繁体(旧字)の時は、「齊」はセイ、そろう、「齋」はサイ、部屋の意味です。日本の略字(応用漢字?)はともに斉ですが。
garan
大西 兵馬俑説明
兵馬俑の説明もありました
garan
クマとフクロウもいました。
garan
スト・ビューにはぼろいガラス戸が写ってますが、時代風の格子で修繕したようです。位置不明はずしました。
garan
chakayaanさま
カウントが重複することになりますのでもとのは消去しました。記憶も定かでないくらい前に見ました。なにかいたずらで倒されたことがあるのを思い出してスレッド立てたんですが。
親マップ: 役行者像 by chakayaan
garan
カウントが重複することになりますのでポイントを消去しました。
garan
松尾町の交差点近くにありましたのでポイントを移動しました。
garan
表題は「六連銭」となってました。
garan
winecolorさま 
ぼくは八月に一泊かぎり、それもまあ街道歩きなので、winecolorさまたよりです。
garan
winecolorさま 
門標に「曹洞宗日輪寺」とありました
garan
winecolorさま こんばんは
北国街道やっと上田城下に入りました。winecolorさんまの足跡チェックしてまいります。
garan
親マップ: 鉄人28号 by mari-papa
garan
parunasさま こんばんは
大阪に遊びに行った友達が写メよこしてくれたので貼り付けさせていただきました。
現在の民生委員につながる方面委員を創設したひと。大阪府知事。
garan
winecolorさま こんばんは
夏に付き合いで歩いた北国街道。やっとここまでたどり着きました。上田市内も目前です。
garan
いーえむえむさま こんばんは
先月通りがかった時の画像です。昔と様子が違うので画像貼らせていただきました。
garan
木村母周東氏墓碣銘并序            木村貞幹建
上野國新宿村望族木村氏之母周東氏歿、貞幹敦其歛事葬之於隣村桐生淨運寺先塋之次、立石表之、今復欲勒其行實於碣以示子孫、乃具状請文於余、按状、周東氏諱里登、同村三塚人、父稱甚藏、子女五人、氏為第三女、文化乙丑四月嫁故木村君諱貞明、居歳餘生一女、明年丁卯五月廿二日君歿焉、君家故饒于贅、然君父栗翁及君、以豪爽好客資産凋弊、及君之歿産愈蠱壊、氏時二十、慨然以幹蠱爲志、上事舅姑、下鞠幼女、督奴婢、課耕織、拮据以持門戸二十餘年、家道稍稍復故、而舅姑亦忘其後於子之憂、然氏未嘗自滿、一切家政皆躬親之而、持操益堅、勤儉愈篤、故及晩年家殷冨倍舊時、氏性孝、慈居舅及考、妣之喪哀毀中禮、平居好施、屡周人之急未嘗責報、又使奴婢静粛而有恩、故其生也人頼之、其死也莫不悼惜焉、葬之日遠近来弔者、盖數百人、氏生于天明八年戊申六月三日、歿于天保八年丁酉五月五日、享年五十、嘗養同國田部井村尾内氏之子、為嗣以一女配之、是為貞幹、貞幹能力其業、又嘗問學、盖母氏有以化之歟、嗚呼氏孀居三十年、永貞一節此既難矣、父孝義憤發以振先業於既壊者、雖丈夫所難能、而以婦人能之、豈不偉哉、是貞幹之所以建碣也、乃銘之曰
猗歟淑人 克慎其身 永貞勒儉 中興家門 天之不爽 必眷子孫 文以徴之 永胎後昆 天保十年三月、伊勢谷亨撰并書    江戸 窪世昌鐫

garan
【題畫】盡力乎疏鑿 萬姓始粒食 道冠於百王 軋坤仰大徳 龜田梓拝題 印;龜田長梓 木王氏
【画像】(大禹像)文一拝寫 印;文一子
【碑陰】
田間之有水道所以備旱澇也、然地勢有時乎變水嘗通矣、今也易而淤壤嘗膏矣、今也改而瘠、則其所以備之、之法亦宜循時而修之、牧民之職斯為尤急焉、下總庄内領中嶋村其地舊瀕河、正保中官命鑿渠引河水而灌之、其側十六村倶蒙浸潤之利焉、歴年已久、深泥堙塞、夏秋之交、雨水暴漲、奔騰濫溢、洊害嘉穀、天保中、事聞于官吏涖、而巡視之、乃建議木津内村新開渠通水、衆皆歡焉、操器用奔走就役、低者築堤護之、高者斫石平之、周歳渠成水復、潤下之性曲折回環抱十六村、而奔又合木津内為十七村、使之倶與灌注之利焉、於是土之瘠者自饒、田之庳者自崇、使人終身不罹墊溺之患、其 深仁厚澤之涵、斯民也洵大矣哉、又相深輪村高燥之土、而作官廨毎 官吏出、而視事衆各祇役聚焉、里正關口廣胤毎先衆操事、事不愆期功有各濟、官嘉廣胤有才幹、命之掌木功巡視之事、加恩賜禄且 許自稱姓氏、廣胤乃使谷文一繪大禹像、勒之於石、又乞余文鐫之於隂、以建屋西之山、庶幾使其子其孫百世、莫遺祖先之勲焉、綾瀬龜田梓撰 石工彌平鐫
garan
(さわののたねかいしぶみ)
さはのヽうしハ、ひぜんのくにさがのもとのとびとにおはせるが、おなじとのびとなるなふとみうぢのいへにうまれたまひて、さはのうぢハつがせたまひしなり、みなはたねかとよばれたり、としまだわかうおはせしほどより、ものかぞふるわざ・ものはかるわざにみこころをよせたまひしかは、かうのとののおほせをうけたまハりて、くにこほりのひろきせばきをはかりたまはんとて、あるときハやまともいはずたにともいはず、こヽにかしこにゆきめぐり、あるときハそれをはかるうつはをさへた、くみいでたまへり、さるハくにのかたちたはたのさまハいふおさらなり、たみのいへゐのありさままで、ことごとくづヽにものしてたてまつりたまひき、のちにかうのとののみまへちかくさふらぶたまへりしが、よのみだれたりしほどハ、いくさのにはにさへぞいでたまひなどもしつヽ、みとせあまりふたとせのはるあきをへたまひにき、さるハとのもそのいさををめできこえて、いくたびかものもたまはりけん、めいぢよとせといふとし、いへハたらうのぬしにゆづりきこえて、みづからにはなをさし、このめをに、ぜんざいをうヽるなどを、よにこよなきたのしみとせられしかば、さながらやまびとともいはまほしきさまにてなん、またそこばくのとしつきハへたまひにし、ことにこのめのみちハせんのりきうのながれをくまれて、そのわざもあやしうさへおはせしかば、そのみちのしとあふぎて、あしたいふべにいでいりするひとはたかぞへもへざるべし、みこふたりおはす、たらうハたねかねときこえて、はやういへをつがれたり、じらうハもりたけとてなふとみのうぢをなんつがれし、とみにけうやうのみこヽろふかく、つねにうしのまぐらひたまふおきなたちをつどへて、なぐさめきこえたりき、さるにこぞめいぢとをまりなヽとせといふとしの、むつきばかりそ、めのやまひのとこにうちふしたまへりしが、きさらぎのなぬかといふひのあかつきのほどになん、ゆくりもなううせしつまひにヽしみとしハ、なヽそぢをみつぞこえさせたまひける、かつてみとのふぢもりぬしの、もろこしそうのかんせいちゆうといふひとのかたのうへにかヽれしからうたに、「ますらたけをもかへりみば、やがてやまびとといふるこヽろ」のことばありき、たらうのたねかねぬしハ、はやうしるひとなりしが、みいくさぶねのをさとなりあまたのつはものをゑて、こヽのうみかしこのうらどのりめぐりて、あるときハおほうみのやまなすなみのうへをこえ、あるときハまつろはぬえじものをうちなびかしなどせられ、いとまだにあれば、あるハからうたつくり、あるハゑなどかヽせ、あるハにはをつくり、あるハうめさくらをめでたまふなどさながら、ふじもりぬしのからうたのこヽろにかよひたまへりき、そのヽちうしのかくあらせたまひしをきくにおまびて、たねかねぬしのをヽしきうちにいうなるふしはへそひたまへるハ、うしににさせたまへるにこそとしりぬ、うしうせたまひてのちたねかねぬし、うしのみはかのかたはらにいしぶみたてなんを、いかでそのふみのことばかきてよ、またそのもじハかなもてかヽんこヽろよからめなどあり、しかとおほやけわたくしのことわざしげくおもはすしもハあらず、ながらいつしかとすぎわたるほどに、いまハたねかねぬしさへうせたまひぬなど、かくしもハとうちなげかるヽほどに、みまごあらたらうぬしふととひきて、あはれいしぶみをとねもこヽろにこはるヽに、さハぬしもちヽぎみのこヽをざしをなさんのこヽろなりな、ちヽぎみのかんせいちゅうのやうにおはせしハ、おほちのきミににさせたまひしにて、あなるぬしよぶんにまれぶにまれ、ちヽぎみににさせたまひてくしきいさををよにあらはし、つまへこれにまさんけうやうハあらじとかたり、あはれあらたらうたつじらう、またハはやしのいへをつぎたるきよたね、さてハようしらうなどいへるあまたのみまごたち、みなかヽらましかバ、かんせいちゅうがのちなきたくひにはあらて、うしもたねかねぬしも、このいしのとことはにさかえたまひなんを、いはんもよしなきにハあらじかし、
  めいじぢとをあまりやとせといふとしのはつきばかりに   こんどうのまことしるす
garan
winecolorさま こんばんは
尾崎豊の墓参の時立ち寄りました(4/25)。あとで狛犬も貼ります。
garan
parunasさま こんばんは
位置を院内孝養舎前から修し、画像とタグなど貼らせていただきました。何度か通過したことあるのに目に留まったのは今年の春でした。
親マップ: 食研跡碑 by parunas
garan
再開発により少々移転、背面の列名は給水設備のため埋没。
親マップ: 水盤 by がらん
garan
防災施設整備のため改装して移転先未確認
garan
防災施設整備として改装、公園内の南側へ移転
garan
chakayaanさま こんにちは
おお、確かにそういう対句のようですね。植え込みで見えないのでそのままにしていましたが訂正します。ご指南ありがとうございます。
garan
winecolorさま おはようございます
リンク先の画像が違うようです。
親マップ: 対話 by winecolor
garan
近藤翁之墓
君名長右衛門以天保五年四月八日生安倍郡長田村大鑪農近藤長
四郎之嗣子也資性温厚沈着灰有尚武之丞概又篤□慈善以□於郷
党壮年弓術學于父慶應三年入吉田流弓術家田中省弦之門洗心□
磨斯道明治十四年被授目録示来調査弓術上之古式礼法至無餘温
後遊歴駿遠參三國與大家交換意見無處不至頗有得所明治十八年
陛印可之學位尋仝流之師大橋長一郎継系統為師範仝二十八年以
老衰退隠田中翁門人于安池與左衛門氏譲師範云
 いつまても豊に弓を射ることきは 矢先八寸弦を引□□
garan
densevenさま こんばんは
若々しいハチ公ですね。タグ貼らせていただきました。
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